別に今日は元旦でもなんでもないけれども、わたしは喜び勇んでだだっ広い屋敷の廊下を歩く。
まだ建ってから新しいというのに、毎日元気な人たちがどったばったと歩き回るせいで、わたしの足音にはぎしぎしと木の音がついて回る。
でもいいや。誰もいなくて、静かなことよりずっと。

朝はからんと晴れていたのに、辺りを見回しても月の姿は見えなかった。なんでかな。建物の陰にでも隠れているのだろうと思って、そのまま足を進めた。



夜は怖いね。


昔を思い出してしまうから怖いね。




***




障子戸の向こう側に声をかけると、入っていいぞーと気楽な声が聞こえてきた。変わらぬその声に安心して、障子戸を開ける。すると、目の前に彼がいた。

「こんな時間にどうしたんだ」


優しい声が降りかかって、わたしの皮膚に染み渡る。涙ぐんでしまいそうになるのをどうにか堪えて、わたしは持っていたおちょこを見せた。

「お月様が綺麗だから、月見酒をしましょう」

月なんて見えないのに、彼は黙って来てくれた。




***




「お前は昔と随分変わったなあ」
「わたしがですか?」



ああ、と彼は大きく頷いて、一気にお酒を飲み干す。おかわりはいっぱいあるからいいけれど。


「昔のお前は怖がって、警戒していた。全部をな」


わたしの実の両親はわたしを置いて逃げてしまった。小さなわたしの周りには、静寂だけ。


「お前は人間を怖がって、誰にも心を見せようとしなかったからなあ」

よしよしと頭を撫でてくれるその手が大きくて、あったかくて、今度こそわたしは泣いた。子供のように。ああ、まだ子供だよわたし。



「お誕生日、おめでとうございます、お義父さん」



彼は大きく目を見開いて、それからはっはっは、と豪快に笑った。


「忘れていたよ」


彼はそう言って、またその強い力任せにわたしの頭をぐっしゃぐっしゃ。痛いですようとわたしは笑った。泣きながら笑った。 ねえ、わたし、あなたに会っていなかったらきっと世界全てを憎んでいたよ。世界全てを呪っていたよ。 でも、あなたたちに出会えてよかった。あなたがわたしを子供にしてくれてよかった。わたしはあなたの子供だ。 それがどれだけ幸福なことか知らないだろう。でも、でも。優しい声の、優しいてのひらのあなた。




どうかわたしとずっと一緒にいてくださいね。















やさしいうたへ