しみは無くて、わたしは遠ざかる背中を見て何でかああ。と思った。 もうちょっと気が利く感想思いつけよ自分! とか何とか自分を叱咤してみるのだが、 兎に角頭の中は「あ」という字がふたつ、それしかなかった。 わたしはふと家に置いてあったパーソナルコンピューターの事を思い出した。 非常におじいちゃんなのでオジイとかそういう愛称のパーソナルコンピューターだった。 彼は名前にたがわぬとろさで、ときどきぷつん、と前触れも無く固まる事があった。 わたしはそれを「オジイの痙攣」と呼んでいたのだが、今のわたしも間違いなく「痙攣」していた。 わたしはおじいちゃんだっけ。 オジイの事を年寄りだ年寄りだとからかっていたわたしも年寄りだなんて、そんなの、かっこわる。


ずかにしずかに背中は小さくなっていく。 わたしは「痙攣」しているから立っている事に精一杯で、他の事に筋肉を使う余裕なんてどこにも無かった。 この道は人通りが少なくて、真っ直ぐ、直線状に伸びているから、今ではかなり遠く離れたあの背中も結構クリアに見る事が出来た。 それが良い事かどうかなんて、分からない。


つだったかな、あの日は。「い〜つの〜こと〜だか〜」なんて幼稚園のお遊戯会じゃあるまいし歌わないけれど、 あの日はどんな事があったんだっけ。あの日はこの道で、何があって、何がふわりふわりと宙を舞っていて、 そしてあの背中の持ち主は何をしたのだろうか。わたしの心はなぜかその事実を否定し続けるのだが、 今回ばかりは、思い出す他に、道は、あるまい?


訳、分かんなくなってきた。頭はくるくる、幾何学的な渦巻き模様。 わたしは誰で、あそこに見えるあの後姿は、背中は、誰なのか。おっと大丈夫だ。わたしはわたし。わたし以外の何者でもない。 じゃなければ、こんなところでショートしている訳でもなく。 だとすれば、今目の前を悠然と、でも確実に遠ざかっているあの背中は、一体、誰なのだろう。


きそうになる。 理由は分からないけれど、わたしの涙腺は音も無く静かに緩んできて、視界が小さな海に浸された。 水のレンズを通してあの背中はよりくっきりと大きく見えて、


つかはこうなるんじゃないかって思ってたよ、ってわたしの心の奥がぽつりと呟いた。 その呟きはほんの少し冷めていて、ほんの少し、辛そうだった。 何でなのかはわたしの知るところではないけれど、その声の切なさに私は言葉を失って、 言いたかった山ほどの言葉の代わりにひとつ溜息を漏らした。すると、痙攣が解けた。


るだなぁ、と思う。 さっきまであたたかくて明るかったこの道も、わたしが固まって動けなくなっている間にあっと言う間に変わってしまったのだ。 ああ非常な時の流れめ。いつもいつもわたしのまわりは、わたしだけを置いて、さっさと歩き去ってしまうのだ


「ねえ、もしかして、わたしはあなたのことがすきだったのでしょうかねぇ?」
失いたくなかったのは確かだよ。それを聞いてくれる人なんて、今はどこにも、いない。





それなのにわたしの涙はなぜこぼれるか